吉原
1月3日 日曜日 ゆき -8.5℃~0℃
お年賀に浅草のりをいただきました。
どうして浅草とのりが合体名になるのかな??て考えました。
浅草といえば浅草寺と だんご屋「とらや」くらいしか思い出さない不案内なわたくしです。
そのわけは 江戸時代 浅草まで東京湾が入り込んで ノリが養殖されていたらしい。
それを紙漉きの技術を使って四角い板のりにして浅草のりと名付けたようです。
そういえば落語に遊郭吉原がよく出てきますね 噺のなかに吉原の見世を冷かして歩く職人がでてきますが これが紙漉き職人。
古紙を釜で煮てどろどろにしてから紙を漉くわけで 煮たばっかりでは熱くて仕事にならない、そこで冷えるまで吉原を散歩するわけ。
これを称して冷かすという言葉が生まれたようです。
わたしなら 冷やかしでなく上がり込んで居続け あげくは居残りになるかも。