大倉城顛末記
わが家の前を走る国道18号線を東進して10kmほど行くと 隣町の豊野町大倉に着きます。
この大倉には 昔大倉城という山城があって 善光寺平を治めた島津氏の支城であったということです。島津氏の居城は大倉から南に8kmほどの千曲川沿い長沼にあり 長沼城と呼ばれておりました。
戦国時代の事です、善光寺平に武田軍が押し寄せ島津氏は滅ぼされてしまいました。 武田軍は大倉城を廃城にして空き城になりました。
時は移り武田氏が滅亡すると織田勢が善光寺平に侵攻してきます。 領民は上杉氏の後ろ盾を頼みに団結して大倉城に立てこもり織田氏に対して一揆を蜂起します。
大倉城に籠城した領民対織田軍の戦いは1200人の領民が虐殺されて終わったと伝わっております。 いまでも城郭の石垣など残っていて亡霊がでるなんて言われておりますよ。
大倉城に下にある諏訪社、諏訪大明神の額がかかる。
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