飯綱町の放射性物質をかんがえる
もう古い話なので時間経過は定かではありませんが、田中角栄氏が日本列島改造論を声だかにかかげ首相になったときのこと、飯綱町の前身牟礼村でも別荘地の開発が盛んに行われました。そのなかで民間デベロッパーのオートライフと言う会社が開発したのが今回の置き去り放射能の別荘地です。場所は横手区から霊仙寺湖に行く途中の別荘地で別荘や住宅が7~8戸散在しています。当時横手区の方々の別荘地開発反対で何回も話し合いをもったと思います。どのような約束で開発できたのか知りませんが別荘地は完成し山の中に舗装道路ができ小さいながらもプールやヘリポート予定地などもできていました。土木工事は長野市の丸金建設が行い別荘はフジコシミサワホームが請け負っていました。区画数は数百あったと思います。その後首相の逮捕や一次石油ショックなどで別荘のブームが去ってしまうと山奥の名もない別荘地では新規の建設工事などもなくやがてオートライフ社も倒産してしまいました。
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